制度改正の背景と狙い
2026年6月の診療報酬・調剤報酬同時改定に合わせ、厚生労働省は薬剤師による残薬調整の手続きを大幅に簡素化します。この改正は、三つの社会的課題に同時にアプローチする施策として注目されています。
日本の医療費は年間45兆円を超え、そのうち薬剤費は約9兆円(約2割)を占めています。特に高齢化に伴う多剤併用(ポリファーマシー)の増加により、飲み忘れや飲み残しによる「残薬」が年間数千億円規模に達していると推計されています。
従来の運用では、処方箋に記載された薬剤量を変更する際、薬剤師は必ず医師に疑義照会を行う必要がありました。この手続きには電話連絡や折り返し確認など、往々にして30分以上を要するケースもあり、薬剤師・医師双方の業務負担となっていました。
新制度の具体的内容
対象となるケース
新制度では、以下の条件を満たす場合に疑義照会の省略が認められます。
患者が明らかに飲み残しを持参している場合
・服薬カレンダーやお薬手帳の記録から、習慣的な飲み忘れが確認できる場合
・前回調剤時の残薬状況から、次回処方までに薬剤が余剰になることが予測される場合
薬剤師に求められる対応
疑義照会を省略する際、薬剤師には以下の責務が課されます。
・調整時の記録義務: 残薬の種類、数量、調整理由を調剤録に詳細に記載する必要があります。これは後日のトレーサビリティ確保と、医師との情報共有のための重要なプロセスです。
・医師への事後報告: 調整を行った場合、遅滞なく医療機関に対し、どの薬剤をどの程度減量したかを報告します。報告方法は電話、FAX、電子連絡など医療機関との取り決めに従います。
・患者への説明責任: なぜ処方量を調整したのか、次回受診時に医師に何を伝えるべきかを、患者に分かりやすく説明することが求められます。
薬局実務への影響
業務フローの変化
これまでの「処方箋確認→疑義照会→医師回答待ち→調剤」という流れが、「処方箋確認→残薬確認→薬剤師判断→調剤→事後報告」へと変わります。特に混雑時や在宅訪問時における業務効率化のインパクトは大きいでしょう。
ある調査では、薬剤師の疑義照会業務に費やす時間は1日平均1〜2時間とされています。この時間を患者の服薬指導や薬学的管理により多く振り向けられるようになることで、対物業務から対人業務へのシフトが一層加速します。
地域医療連携の深化
事後報告を確実に実施することで、医師と薬剤師の情報共有が密になります。特に在宅医療や慢性疾患管理において、薬剤師が患者の実際の服薬状況を把握し、それを医師にフィードバックするサイクルが強化されることで、より実態に即した処方設計が可能になります。
想定される課題と対策
責任範囲の明確化
薬剤師の裁量権拡大に伴い、調整判断の適切性が問われる場面も増えるでしょう。特に複雑な薬物相互作用がある場合や、用量調整が治療効果に直結する薬剤(抗凝固薬、抗てんかん薬など)では、慎重な判断が必要です。
日本薬剤師会などの職能団体は、判断基準やチェックリストを含むガイドラインの整備を進めており、2026年春までに実務指針が公表される見込みです。
医師との関係性構築
制度上は疑義照会が不要でも、医療機関との信頼関係なくして円滑な運用は困難です。事後報告を形骸化させず、調整理由や患者の服薬状況を丁寧に伝えることで、医師側の理解と協力を得ることが重要になります。
薬剤師の役割進化
この制度改正は、薬剤師の専門性を「調剤技術者」から「薬物療法管理者」へと一段引き上げる契機となります。処方内容に対して受動的に対応するのではなく、患者の実態を踏まえた能動的な提案ができる専門職としての地位確立が期待されています。
キャリア形成への示唆
残薬調整をはじめとする処方適正化業務の経験蓄積は、専門薬剤師認定や地域医療への貢献実績として評価される可能性があります。また、医師との協働実績は、病院薬剤師への転身やかかりつけ薬剤師としての差別化要因にもなり得ます。
薬局は施行前に、調剤録の様式見直し、医療機関への周知文書作成、スタッフへの研修実施などの準備が必要です。
この制度改正は、医療費適正化という政策目標と、薬剤師の専門性向上という職能発展を同時に実現する可能性を秘めています。薬局薬剤師にとっては、より高度な臨床判断能力が求められる一方で、医療チームの一員として患者アウトカム改善に直接貢献できる機会の拡大を意味します。施行まで4ヶ月を切った今、各薬局での準備と意識改革が求められています。
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