医薬通信社さんの記事からです。
このテクノロジー自体の評価は私には出来ませんが、はっきり言えることは〝待合室には潜在バリューが眠っている〟ということ、〝音=聴こえはひとつの鍵を握る〟という点です。
待合室は果たして〝待つ〟ためだけにあるのでしょうか?以前の記事で〝カイロス〟について触れました。人間の主観にその長さが影響される時間のこと。楽しいか?苦しいか?色んなその時々の感情で、客観的には同じ長さの時間が、短くも長くも感じられるという、あれです。
待合室が文字通り〝待つ〟だけならば、長くなれば長くなるほどただの苦行に感じられても仕方ないですが、〝有意義〟だったり〝楽しい〟とすれば?
このテクノロジーの是非は別として、認知症の患者さんやご家族にとって待合室に滞在している時間は〝カイロス〟として有意義であったり、居心地の良い時間になる可能性が高くなりそうです。
よく薬局は〝早く薬を渡さないと〟という強迫観念にも似た状況に置かれているように思いますが、実は必ずしもそうとばかりは言えないのではないでしょうか。もちろん薬局にも認知症の患者さんが来られますが、それだけではなく街の健康ステーション的な空間を用意すれば、どうなるでしょうか。
〝待合い〟から〝役立つ〟の場への変換手段を色々考えるために、街に出て他の業態を見てヒントを探すのも一手ですね。
さて、もうひとつ〝音=聴こえ〟の視点。筆者は今年、聴者ではなく話者の声を通じて聴こえを改善するスピーカーとの出会いがありました。要は聴こえ易い音にして出力してくれるスピーカー。聴者にすべての負担をかけるのではなく、話者が寄り添うためのツールです。
その関係者から伺った話や、実際に高齢者施設を訪ねた体験から言えることは、〝聴こえ〟はコミュニケーションにとって非常に重要であることと、話者が想定しているように聴こえているとは限らないということ(逆も然り)。
いま薬剤師には対人業務への期待が大きくなっていくばかりですが、そのベースにはコミュニケーションが横たわります。しかし、〝ちゃんと〟聴こえていなかったとすれば、コミュニケーションスキルも役立たないのではないのか?という疑問を抱いたのです。
MCIだと思っていたような患者さんの中には、聴こえを改善するだけでコミュニケーションがスムーズになったりするケースもあり、高齢者の方は認知機能と聴こえとのどちらに問題があるのか?も判別しにくいとも伺いました。
初めの待合の時間を有意義にするという話に戻ると、高齢者の患者さんが多い薬局だと、このような話者(この場合は薬剤師)の声をサポートするスピーカーを設置するのも、ひとつの手段にはなり得る。
そんなことを想起させられた記事でした。2024年は待合室のバリューアップに期待?!
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