MR「5万人割れ」が浮き彫りにする現状
https://answers.ten-navi.com/pharmanews/26057/
Answers News さんの記事からです。
業績が好調な製薬会社でも止まらないのがMR数の減少らしい。
50,000人を切ったことが大騒ぎになっているけれども、50,000人というこの数字、病院8,000軒+クリニック100,000軒+保険薬局60,000軒と数字を丸めて合せれば168,000軒に対して、同じ業界のどこかの会社の誰かが3日に1度は訪問する計算になるわけで。
そんな業界、ほかの法人営業でどこかにあるのだろうか?筆者は知らない。
イメージして欲しい。3日に1回、あなたのオフィスにコピー機の営業パーソンが訪れるだろうか?それも色々な会社の人が、めくるめく。メンテナンスのスタッフでもそうは来ないだろう。
何言ってんだ?それは大学病院から個人クリニックまで、一切合切一緒にするからそんな計算になるんだ!というお叱りもあるかも知れないけれども、じゃあ、それなら大学病院に毎日複数のメーカーから訪れる状態の方がさらに異常だと思う。
MRの日本語訳の「医薬情報担当者」のうち「情報」に関してはもはや、デジタルやネットの世界の方が相応しい時代。いや「情報」とは情に報いると書く。ヒューマンタッチなリレーションこそ大切であって、リアルなMRでないといけないのだ!という論も聞いたことはあるが、空しい。
いや、筆者は「情に報いる」という熱いリレーションを否定しないどころか、積極的に支持する考えの持ち主だ。普段から薬剤師バリューを訴え、そこには薬学専門性×コミュニケーションが大切、つまり、薬剤師と患者との生身のコミュニケーションこそ重要だと考えている人間だ。
それでも、こと医薬品情報というカテゴリーにおいては、一切支持しない。それは「医薬品」という、情報が詰まりに詰まった「モノ」が持つ性格のせいだ。さらに言えば、患者という消費者の「治療」や「健康」を目指す崇高なミッションを帯びた「モノ」だからなのだ。
結論を言おう。
「医薬品」にはコマーシャル・ディテーリングは相応しくない。医療従事者とMRとの状に報いる関係性で処方が選択されることは、原則的にあってはならない。百歩譲って全く同等評価の医薬品が複数目の前に並んだとき、原理的には情に報いるが入る隙間はあるのかも知れない。しかし、あくまで医療従事者はサイエンスに則って選択すべきだ。
だから、自ずと医薬品のディテーリングは、「アカデミック・ディテーリング」になってしかるべき。ましてや、医薬品は保険負担を強いる特殊な位置づけの「モノ」だ。これらを総合的に勘案して、真の姿は「アカデミック・ディテーリング」しか、ない。
翻って日本の医薬品ディテーリングはどうか。表面的には徐々にコマーシャリズムを排してきたのだろうが、未だに基本的にはアカデミック・ディテーリングとは言えまい。
ところが、だからMR数が減るのは当然、実はそう筆者が言いたいわけではない。
理想形を述べると、MRは企業に属するべきではない。社会保障費を費やして国民の健康を真摯に科学するそのミッションは、まだ見ぬ公益団体に属してこそ、全うできる職務なのだろうと思う。試算したわけではないが、そうなれば本邦のMR総数もひょっとしたら多くないのかも知れない。今よりも相当大きな価値が生み出せるからだ。
最後に。この未来志向の理想形MRは、薬剤師資格を有するべきであることは論を待たない。
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