医薬品ONS保険適用制限が薬局経営と患者の栄養治療に与える深刻な影響
2025年12月12日、中医協総会において、エンシュア・ラコール・イノラスなどの医薬品ONS(経口栄養補助食品)の保険適用が突如制限される方針が示された。「経管栄養」と「術後」以外の処方を原則認めないという内容は、薬局経営に打撃を与えるだけでなく、医療DXで進められてきた栄養管理データの活用を根底から覆す政策矛盾を孕んでいる。GLIM基準による低栄養診断の義務化を進めながら、その治療手段を奪うこの決定は、薬局・薬剤師の専門性を軽視し、地域医療における栄養管理体制を崩壊させかねない。
DX時代の栄養管理データ活用を阻む政策矛盾
処方応需と服薬指導の混乱
医薬品ONSの年間売上は約390億円であり、在宅医療に注力する薬局では重要な収益源となってきた。今回の制限により、薬局は以下の深刻な問題に直面する。
まず、処方内容の適否判断が極めて困難になる。「経管栄養」「術後」という明確な病態以外での処方を受け付けた場合、保険請求時に返戻されるリスクが生じる。しかし処方箋からは患者の詳細な病態が読み取れないケースも多く、薬剤師が疑義照会を繰り返せば医療機関との信頼関係が損なわれる。
さらに深刻なのは、長期にわたり医薬品ONSで栄養状態を管理してきた患者への対応である。低栄養状態にあるフレイル高齢者、サルコペニア患者、摂食嚥下機能障害のある患者など、明らかに栄養治療が必要であっても、処方箋上は「術後」でなければ保険適用外となる。薬剤師は患者に「自費購入してください」と伝えざるを得ず、患者が経済的理由で治療を断念すれば、薬剤師としての倫理的葛藤に直面する。
在宅医療分野での競争力低下
在宅医療では、栄養管理が介護報酬においても評価されており、薬局は管理栄養士と連携して医薬品ONSの適切な使用を支援してきた。しかし保険適用制限により、薬局が提供できる栄養管理サービスの質は大幅に低下する。
特に影響が大きいのは、居宅療養管理指導や在宅患者訪問薬剤管理指導において、栄養状態のモニタリングと医薬品ONSの服薬指導を一体的に行ってきた薬局である。今後は食品ONSへの切り替えを提案せざるを得なくなるが、食品ONSは品質管理や安定供給の面で医薬品とは異なる。災害時などの非常事態では、医薬品ONSは安定供給義務があるため優先的に供給されるが、食品ONSにはそうした保証がない。
医療DXとの深刻な政策矛盾
GLIM基準義務化との整合性
2024年度診療報酬改定では、回復期リハビリテーション病棟入院料において、入退院時の栄養状態評価にGLIM基準(Global Leadership Initiative on Malnutrition)を用いることが要件化された。GLIM基準は世界標準の低栄養診断基準であり、日本でも積極的な活用が推進されている。
GLIM基準では、表現型基準(体重減少・低BMI・筋肉量減少)と病因基準(食事摂取量減少/消化吸収能低下、疾患負荷/炎症)のそれぞれから1項目以上該当すれば低栄養と診断される。そして低栄養に対する標準的な治療介入として、国際的なガイドラインでは医薬品ONSの使用が明記されている。
つまり、政府は一方でGLIM基準による低栄養診断を義務化し、医療機関に低栄養患者の把握を求めながら、他方でその治療手段である医薬品ONSへのアクセスを制限しているのである。これは論理的に矛盾しており、「診断はするが治療はするな」と言っているに等しい。
ICTを活用した栄養管理データの活用阻害
医療DXの推進において、栄養管理データの電子化と活用は重要な柱の一つである。電子カルテや薬歴システムには、患者の体重変化、BMI、栄養摂取状況、医薬品ONSの使用状況などが記録され、これらのデータは多職種連携や予後予測に活用されている。
薬局では、お薬手帳アプリや服薬管理システムを通じて、患者の栄養状態をモニタリングし、医薬品ONSの効果を評価してきた。しかし保険適用が制限されれば、これらのデータは大幅に減少する。結果として、AIを用いた栄養状態の予測モデルや、薬局薬剤師による栄養介入の効果検証も困難になる。
さらに、地域包括ケアシステムにおける情報連携プラットフォームでも、栄養管理データは重要な要素である。医療機関、薬局、訪問看護ステーション、介護施設などが栄養状態を共有し、一貫した栄養管理を行うためには、標準化された医薬品ONSのデータが不可欠である。食品ONSでは規格が統一されておらず、データの互換性や分析の精度が低下する。
エビデンスに基づく栄養治療の重要性
低栄養は「疾患」である
低栄養は国際疾病分類(ICD)に収載される疾患であり、放置すれば入院・死亡リスクが有意に上昇する。低栄養患者ではサルコペニアやフレイルが進行し、誤嚥性肺炎、転倒・骨折、心不全増悪などの合併症が増加する。低栄養の有無だけで死亡率が2倍になることは多数のエビデンスで示されている。
にもかかわらず、中医協では「通常の食事による栄養補給が可能な患者における追加的な栄養補給は食品で代替可能」という認識が示されている。これは栄養治療の本質を理解していない発言である。
低栄養が進行した患者は、食欲不振や消化吸収能の低下により、通常の食事では必要なエネルギーや栄養素を摂取できない。だからこそ、高濃度・高密度に栄養が濃縮された医薬品ONSによって「下駄を履かせる」ことで、体重や筋肉量を回復させ、徐々に通常の食事摂取能力を取り戻していく。これが「栄養治療」である。
医薬品ONSは永続的に使用するものではなく、栄養状態が改善すれば卒業できる。薬局薬剤師は、こうした栄養治療のプロセスを理解し、患者の栄養状態を継続的にモニタリングしながら、医薬品ONSの適切な使用を支援してきた。
医療費削減効果
医薬品ONSの年間売上390億円は、医療費総額48兆円の0.08%に過ぎない。一方、低栄養患者が10%増加すると医療費は約1,000億円増加するという試算があり、低栄養による超過医療費は少なくとも1.05兆円に達するという報告もある。
栄養治療を適切に行うことで、誤嚥性肺炎や転倒による骨折などの入院を予防でき、結果的に医療費を削減できる。390億円を削減して1,000億円以上の医療費増加を招くのは、極めて非合理的な政策判断である。
薬局薬剤師の専門性と倫理的責任
栄養管理における薬剤師の役割
薬局薬剤師は、医薬品ONSの適切な使用において重要な役割を果たしてきた。具体的には以下の業務が挙げられる。
①患者の栄養状態評価: 体重、BMI、食事摂取量などを継続的にモニタリングし、低栄養リスクを早期に発見する
②医薬品ONSの選択支援: 患者の病態や嗜好に応じて、適切な製品(エンシュア、ラコール、イノラスなど)を提案する
③服薬指導: 医薬品ONSの効果的な摂取方法、副作用(下痢、腹部膨満感など)への対処法を説明する
④多職種連携: 医師、管理栄養士、訪問看護師などと連携し、包括的な栄養管理を実施する
⑤アドヒアランス向上: 長期間の使用が必要な患者に対し、継続的なサポートを提供する
これらの専門的業務は、薬局薬剤師が地域医療における栄養管理の中核を担ってきたことを示している。保険適用制限により、こうした専門性の発揮が阻害されることは、薬剤師のキャリア形成や職業的満足度にも悪影響を及ぼす。
倫理的ジレンマ
薬剤師には、患者の最善の利益を追求する倫理的責任がある。明らかに栄養治療が必要な患者に対し、「保険適用外なので自費で購入してください」と伝えることは、倫理的に受け入れがたい。特に経済的に困窮している高齢者に対しては、実質的に治療を断念させることになる。
また、食品ONSへの切り替えを提案する場合も、医薬品ONSとの品質や効果の違いを正確に説明しなければならない。しかし、食品ONSは薬機法の規制対象外であり、品質管理や有効性のエビデンスが医薬品ほど厳格ではない。薬剤師として、こうした製品を積極的に推奨することにも躊躇を感じる。
医療制度改革との矛盾
改正医療法附帯決議との整合性
2024年に成立した改正医療法の附帯決議では、「低栄養や筋量の低下を背景として、入院する原疾患が肺炎や骨折などに変化していくことや、高齢者によっては入院がリスクになることも踏まえ、入院しないで済むように在宅医療を強化すること」が明記されている。さらに、「高齢者に対する食事についてはペースト食や低栄養・サルコペニアに対する治療に資する食事が普及するよう、診療報酬上加算の評価を含め検討すること」とも記載されている。
医薬品ONSの保険適用制限は、この附帯決議と真っ向から対立する。国会の意思として在宅医療の強化と栄養管理の充実が求められているにもかかわらず、実際には栄養治療へのアクセスを制限しているのである。
「攻めの予防医療」との矛盾
厚労省は2026年度予算案において「攻めの予防医療の推進」を掲げ、「歯科保健医療・栄養対策・リハビリテーションの推進」を明記している。さらに、病院や介護保険制度では「三位一体のアプローチ」としてリハビリ・口腔ケア・栄養管理のセットでの介入が推進されてきた。
しかし、栄養対策における唯一の医薬品による介入手段が医薬品ONSである。これを制限しながら「栄養対策の推進」を掲げるのは、明らかな政策矛盾である。薬局現場では、こうした矛盾した指示に翻弄され、患者への一貫したメッセージを伝えられなくなる。
市場への影響と患者選択肢の減少
医薬品ONS市場の縮小リスク
医薬品ONSの市場規模は約390億円であり、製薬企業にとって決して大きな市場ではない。「経管栄養」と「術後」のみに適用を限定すれば、市場規模は10分の1程度に縮小すると予測される。
そうなれば、製造コストに見合わないと判断する企業が市場から撤退する可能性が高い。現在、エンシュア・ラコール・イノラスなど複数の製品が存在することで、患者の病態や嗜好に応じた選択が可能になっている。しかし市場縮小により製品数が減少すれば、患者の選択肢が狭まるだけでなく、「経管栄養」や「術後」の患者も適切な製品を入手できなくなるリスクがある。
薬局の仕入れと在庫管理への影響
薬局にとって、医薬品ONSは比較的回転率の高い商品であり、在宅医療に注力する薬局では安定的な在庫を確保してきた。しかし保険適用制限により需要が激減すれば、薬局は在庫リスクを避けるために取り扱いを縮小せざるを得ない。
結果として、緊急時に医薬品ONSが必要な患者が生じても、薬局に在庫がなく、取り寄せに時間がかかるという事態が発生する。特に地方の小規模薬局では、こうした問題が深刻化する可能性がある。
医療DX時代の栄養管理体制を守るために
医薬品ONSの保険適用制限は、薬局経営、患者の治療アクセス、医療DXの推進、そして医療政策の一貫性のすべてにおいて、深刻な問題を引き起こす。特に薬局薬剤師にとっては、専門性を発揮する機会が奪われ、倫理的なジレンマに直面することになる。
低栄養は疾患であり、適切な治療介入が必要である。GLIM基準による診断を義務化しながら治療手段を制限するのは、論理的に矛盾している。医療DXで進められてきた栄養管理データの活用も、この政策により大きく後退する。
薬局薬剤師は、地域医療における栄養管理の専門家として、この問題に声を上げる責任がある。患者の最善の利益を守り、エビデンスに基づいた栄養治療を提供し続けるために、政策変更を強く求めていくべきである。